8/26/2011

ああ素晴らしい、桂吉朝

東京の、または大阪の落語ファン、それもマニアといっていいほどの熱心なファンでさえ、東京のファンは上方の、大阪のファンは東京の落語をほとんど聴かない、というのを最近知った。

どうしてかな。今はもう言葉の違和感なんてないと思うけど。
なんとなく遠いかんじがするのかな。
実にもったいない!それはほんまに損でっせ!


聴かなきゃ損、といえば桂吉朝である。
上方落語といえば東京の落語ファンは先ずは桂枝雀を思い浮かべると思うが、異端の天才枝雀はある意味別カテゴリーの存在だ。
上方落語のエッセンスを堪能したければ絶対の絶対に吉朝を聴くのがよろしい。

桂吉朝
桂吉朝、米朝の9番目の弟子。端正でシャープ、かつ飄逸な味と茶目っ気のある高座、諸芸に通じ・・・・などなど、吉朝を評する言葉は数々あるが、それをまとめるとつまり「とっても上手い」(最強のシロウト的表現)ってことだ。
私は古今亭志ん朝のことを『落語のひとつの理想形の完成形』と思っているが、吉朝こそ『上方落語のひとつの理想形の完成形』だと思う。

そう言われても、上手い落語ってあんまり面白くなさそう、個性がないんじゃないか、とか思います?
いやいや、そこはそれ、上方落語ですから。





上方落語は笑わせてなんぼ。
人情噺の価値を認めない、っちゅうたら批判されそうなんでそれは言いませんけど(言うとるやないか!)、そもそも人情噺がほとんどない。
落語の役目の中に「泣かす」っちゅうのんはないんです。
この点では私は完全に上方派ですね。だいだい落語っちゅうもんは・・あ、いかんいかん、話がそれてしもた。

吉朝はあんな真面目そうな顔して一門で一番洒落っ気と茶目っ気があったと米朝師匠も言ってました。
そんな「おもろいおっさん」が「完成された上方落語」を演ったらどんだけええか、わかってもらえますやろか。

米朝ゆずりの「地獄八景亡者戯」から「たちきれ線香」「百年目」「愛宕山」といった大ネタ、「足あがり」「七段目」など得意の芝居噺も、「子ほめ」みたいな軽い噺も、同じテンションで楽々スイスイと演じる姿はなんとも格好良かったですなぁ。







そんな吉朝が胃癌のために亡くなって今年でもう7年。
早いもんです。こんな素晴らしい落語家を私たちから奪うとは、神さんもひどいことしますなぁ。他の噺家でよかったんちゃいますか。
吉朝を亡くして米朝がどんだけ落胆したか。国宝を悲しませたらあきませんわ。

私は常々「落語家50代絶頂説」を唱えてますけど、50歳で逝った吉朝の50代はもう見られません。どんなふうになったんかな。
吉朝は本当は米團治になるはずやったんです。そして米朝亡き後の(こらこら、まだ生きてはる)芸を継ぐべき人やったんです。本当に惜しいことをしました。
まぁどんなに悔やんでもしゃあないな。
きょうはこれくらいにしといたろ。


今週の当番 (No.3)


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