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5/26/2014

ジェリー・ウェクスラーの自伝が出ましたー

 会員番号7番、aoiと縁の深い翻訳者&音楽ライナー&英会話学校講師、新井崇嗣の拙訳書が刊行されましたので、ご紹介させていただきます!
 タイトルは『私はリズム&ブルースを創った ソウルのゴッドファーザー自伝』。アトランティック・レコード元幹部で音楽プロデューサーの故ジェリー・ウェクスラー氏が名伝記作家デヴィッド・リッツ氏と共同で著した自伝です。
 ニューヨークでの少年時代からジャズにのめり込んだ青春期の思い出、ビルボード誌の記者やアトランティックの重役、フリーランス・プロデューサーとして出会った数々の業界人、人気アーティスト&ミュージシャンに関する興味深い逸話が満載なのです(頑固一徹なおやじさんだったことが、よくわかります)。

 ぞくぞくと好評発売中のアトランティックR&B、ソウル、ジャズの名盤のお伴に、ぜひ!

1/22/2013

弥次さん喜多さんの真実



お伊勢詣りは江戸っ子の夢。

江戸っ子はみな一生に一度はお伊勢詣りに行きたいと願っていたそうです。
それがかなわなければ一家にひとり、お店(たな)にひとり、長屋でも積み立て(伊勢講)をしてまで誰か代表で、それもままならないときは飼い犬を行かせたというのですから驚きです。
(なにもそこまでという気もしますけど)

そんなブームの中登場したのが、ご存じ弥次さん喜多さんの二人組がお伊勢詣りに行く道中を面白可笑しく書いた十返舎一九の「東海道中膝栗毛」です。
みなさんも学校で習いましたね。

「東海道中膝栗毛」は享和二年(1802年)から文政五年(1822年)の実に21年間に渡って出版されました。

江戸の人々の心を掴んだこの大ベストセラーは落語の元ネタにもなり、映画は大河内伝次郎からエノケン、勘三郎(R.I.P)まで数知れず、200年経った現在も日本人なら知らない人はいません。

私も映画はいくつも観たし、漫画も読んだ。落語『二人旅』は談志が最高。
超有名古典の名作は、抱腹絶倒の元祖スラップスティック・ノヴェルなのです。(たぶん)

でも、昔々子供向けに訳されたものを読んだ記憶はあるけど、実は原典をちゃんと読んだことはない。

「東海道中膝栗毛」、全貌はいかなるものか?

ということで、一気に全部、読んでみた。




















いやいや、馬鹿ですねー。

想像をはるかに超えたくだらなさ!

基本的には道中の宿屋で悪戯、騒動を起こし、洒落や狂歌の言葉遊びを随所に挟む、というパターンなのですが、これがもう全編下ネタ。
お下劣極まりないギャグのオンパレード。

こんなものとても子供には読ませられません!

そもそも、弥次さん喜多さん、このふたりはどういう関係か?

喜多さんこと喜多八(29歳)は陰間(かげま・若いうちは男を、年をとると女を相手にする男娼)で、弥次さんこと栃面屋弥次郎兵衛(49歳)はその馴染みの客、弥次郎兵衛は元々駿河の裕福な家の出だったのが放蕩がすぎて喜多さんと駆け落ち同様に江戸に出てきたのです。

そう、このふたりは元男色の関係。
なぜかある時点で止めたようで、本編ではそのような雰囲気は皆無です。

それどころか、道中はほとんど買春ツアー。

行く先々で女を口説く。
それも玄人素人、“しわくちゃ婆ァ”、あろうことか障害者にまで隙あらば手を出そうとする異常ぶり。
(大抵失敗)

下ネタといってもあっちの下ネタもあればこっちの下ネタもあり、思わずゲェーって言っちゃうほど。

これじゃあ信心も何もあったもんじゃありません。


さて、どうです?
ゆかいな二人組がほうぼうで騒動を巻き起こしながらのんびりお伊勢さんを目指す江戸時代のお話、なーんてイメージは粉々に砕け散ったことでしょう。

いいんでしょうか、古典の名作?!
いいんですか、文科省、教科書にのせちゃって?

 私の敬愛するしりあがり寿の漫画「真夜中の弥次さん喜多さん」の、ヤク中でホモのカップルがシュールな体験をするという設定は突飛でもなんでもなかったんですね!



















では最後に、長瀬智也と中村七之助というナイスなキャスティングでクドカンが映画化した「真夜中の弥次さん喜多さん」、日本橋出立の場をご覧いただきましょう。

お伊勢詣りへ行こうぜ、ベイベー♪



*江戸の文体、さぞや読みにくかろうと覚悟したが、まるでうたうように書かれており、意外にスラスラ(でもないけど)進みました。



今週の当番:bunyayurisses





4/09/2012

染井の桜


以前、出張先でタクシーに乗ったときのこと。運転手さんが話しかけてきた。
「あたしは花が好きでね、引退したら全国の県花を見て回りたいんですよ。お客さんはどこから?」
「東京ですが」
「ああ、いいねえ。春、染井に行って桜を見たいものです。きれいだろうなあ」
巣鴨~染井界隈は用事で何度か訪れたことがあったけれど、「ここがソメイヨシノの発祥地か」くらいにしか思っていなかった。ただ、運転手さんがあまりに熱く語るものだから、それ以来「染井」が胸の奥に引っかかっていた。発祥というけれど、誰かが作ったものなんだろうか? 書名に惹かれて手に取った本、木内昇さんの手になる『茗荷谷の猫』の一編「染井の桜」がぼくの疑問に答えてくれた。

侍の徳造は草木好きが高じて植木職人になる。「庭じゃなく、景色を造りたい」との思いから、徳造は金になる朝顔や菊ではなく、桜の変わり咲きを造ることに精を出す。何年もかけて掛け合わせを繰り返し、ついに息をのむほど美しい桜ができた。人々はそれを「吉野桜」と呼び、「移ろうから、儚いから、美しい」とたいそう愛でた。
ところが、せっかく苦労して造ったというのに、徳造は苗木を安い値で誰にでも分けてしまう。職人仲間から、もっと高い値を付けないともったいないと諫められても、徳造はこの桜が世に広まらないことが何より悲しいと言って聞かない。ならば、せめて自分の名前を付けろと言われると、せっかくのきれいな花に自分の名前を付けるのは野暮だと返し、違う呼び名を提案する。染井生まれだから「染井吉野」でいいじゃないか。

 絵画や音楽もそうだけれど、背景を少しでも知って接すると、見えたり聞こえたりするものががらりと変わるから面白い。いま暮らしているのは古い町で、庭に桜の木のある家が少なくない。桜の木を残すために路が妙な感じに曲がっていたり、敷地がいびつになっていたりするところもある。桜の多くはソメイヨシノで、静かな町を静かに彩っている。立ち止まり、徳造さんのことを思いながら見上げてみる。枝に開いた薄紅色の中に江戸の植木職人の心意気が息づいている気がして、うれしくなった。


巣鴨のほかにも品川、茗荷谷、本郷、市ヶ谷、千駄ヶ谷、浅草、など東京の町を舞台にした物語が収められていて、それぞれが時代を越えてつながっている。散歩に誘ってくれる本です。


aoi

1/17/2012

なつかしい芸人たち


一般的にはたいていの人、とりわけ女性には「若い>年寄り」という認識がなされているのだと思うけれど、しかしそこはそれ、ブルースやらソウルやらロックやら、はたまた映画やら演芸やらを愛好する私たちはその逆で「年をとっている」ことに少々優越感を持ったりすることがままある。(え、そんなことないですか?)

なんといっても昔のことを知っていることはエライという価値観の世界だ。
おませな好事家のみなさまは“若い”ということを、あからさまではないにしても、ちょっと馬鹿にされたという経験をお持ちではないだろうか。(誰々の初来日見てないの?とかね)
そんな経験を何度かするうちに気がつけば「年が若いコンプレックス」を抱いて青春時代を送っていた、なんてことになるのだ。

そんな歪んだ(?)コンプレックスと大いなる憧れを持って読みたい本がこれ。

「決定版 私説コメディアン史」澤田隆治




















澤田隆治は「てなもんや三度笠」「スチャラカ社員」「花王名人劇場」などのヒットを生んだ名プロデューサー。昭和のお笑い史そのもののような人だ。
エンタツ・アチャコ、藤田まこと、やすし・きよし・・人気者を内側から見せてくれてわくわくする。


そしてさらに超ディープな世界に誘ってくれるのがこれ。

「なつかしい芸人達」色川武大





















立川談志が兄(アニ)さんと呼んで慕い「兄さんには芸人とおンなじ哀しさを感じる」と言った色川武大の芸人話。
といっても話はコメディアン、映画俳優、歌手、野球選手から相撲取りにまで及ぶ。

データ的なものはあまり重要視されておらず、自分の少年期を振り返りながら時に感情移入しながら、溢れるような固有名詞、連鎖する記憶、芸人への深い愛情を徒然語っている。
読んでいると色川武大になつかしい(というにはあまりにマイナー、怪しい!)お話を聞かせてもらっているような気分になれる。

それにしてもこの全編を覆ういかがわしさ、哀しさはどうだ。戦前戦中の芸人達。「河原乞食」という言葉が浮かぶ。



 *************************************



先ごろ立川談志が亡くなった折、その追悼記事に演芸評論家のお歴々は揃って「こゑん時代(二つ目)は凄かった」とお書きになっておられた。
あぁやっぱり、こゑん時代。とんでもない天才ぶりだったらしいからなぁ。見てみたかったです、そりゃあ。(生まれてないけど)

私は既に「若い」と軽んじられる年齢は過ぎているし、談志の50代半ば以降はいわゆる追っかけ、高座は鼻血が出るほど聴いた。それを密かな自慢としていたが、それも急に色褪せて見える今日この頃。

ああ、マニアの世界には限りがない。
早く70歳になりたい。


今週の当番No.3 bunyayurisses

11/28/2011

続・素敵な邦題レコードに駄盤なし!


いまだ話題沸騰、かどうかは知らないが、私の中のブームはまだまだ去らず、今回も『日本盤オールディズ・シングル図鑑 19541964』から素敵な邦題レコードをご紹介します。

この本をざっと見渡すと、歌手にイメージ付けをして日本での売り出しを目指したかに見える邦題がちらほら見受けられます。
そしてこれが「なぜ??」と疑問もありつつ、やはり面白い!




■お座敷歌謡風タイトルに駄盤なし

ブレンダ・リー
冷たいのネ EVERYBODY LOVES ME BUT YOU
ひどいお方」 YOU ALWAYS HURT THE ONE YOU LOVE
あなたのお傍にALONG WITH YOU
素敵なお方HE’S SO HEVENRY






ブレンダ・リーは5060年代パンチの効いた歌唱力と「ダイナマイト」のヒットにより「ミス・ダイナマイト」とあだ名されたアメリカンポップスのアイドルですが、日本盤になるとなぜかお座敷歌謡風になるのですね。五月みどりか小松みどりか。このタイトルを見ているだけで島田も揺れそうです。

(余談だが、五月みどりと小松みどりは姉妹であるが、だからといって名字ではなく名前が同じってどういうことか?ついでに言うと、ガルシア・マルケスの息子の映画監督ロドリゴ・ガルシアもなぜロドリゴ・マルケスではなくロドリゴ・ガルシアなのか?)

しかし、これらのタイトルはほぼ原題どおり。意味を違えずお座敷風にとは、なんという高等テクニック!
中でもYou always hurt the one you love、あなたはいつも愛する人を傷つける、少し倒錯ラブ的要素もはらみつつ一言「ひどいお方」とは、全くもってその通りというほかありません。


■日活映画風タイトルに駄盤なし

ジョニー・ハリデイ
高校秘密情報High School Confidential
甘い暴力Douce violence
非情のキッスShake the hand of the foll






小林旭か宍戸錠か。ご本人は甘いマスクのフランスのロックスター。
フランス版マイトガイというところでしょうか。


■クレイジー映画風タイトルに駄盤なし

ジャック・ジョーンズ
無責任と呼んでCall Me Irresponsible (1964.5
パパは無責任」 Call Me Irresponsible  (1963.7)
(いずれも東芝盤)








クレイジー映画風とはいえ、平均(たいらひとし)もここまで言い切ったことがあったでしょうか!? 
なにしろ「無責任と呼んで」である。
サバ言うなコノヤロー、そのうちなんとかなるだろう、アメリカの無責任男は潔いと思いきや・・・・

ところがこの曲、 Call Me Irresponsible  (Written by Jimmy Van Heusen, Sammy Cahn 1962)   は、映画「パパは王様」(1962)の主題歌でもあり、フランク・シナトラ、ボビー ビヨンド・ザ・シー“ ダーリン、そしてダイナ・ワシントン、ローズマリー・クルーニーなども歌うお馴染みのロマンチックなスタンダードナンバーなのです。






わたしを無責任と呼んで/わたしのことを当てにならない人と言って/
頼りにならないと言ってもいい/わたしはあまり賢くもないし気まぐれだし (拙訳)

でもこんなにソフトでメロウな歌声でムードたっぷりにこんな歌詞歌われても困りますよねぇ。


今週の当番:No.3

9/27/2011

ぼくもデカすよ / ファッツ・ドミノ ●素敵な邦題レコードに駄盤なし!


一部ブログや音楽専門誌などで話題沸騰(?)の「日本盤オールディーズ・シングル図鑑 1954~1964」。


海外ポップス輸入初期のレコード会社の方々のご苦労と、これだけのシングル盤を集めてアーカイブとしてまとめた菅田泰治さんの素晴らしいお仕事に感動します。

(編者の菅田泰治さんは広島のレコード店ジスボーイの店長さんなんですね。ブログアイル・フォロー・ザ・盤 はディープなシングル盤情報も。偶然か、ジスボーイというのにもニヤリです。私が”素敵邦題”で最初に思い浮かべるのがビートルズのThis Boy =こいつ なので)










この本は素敵な邦題満載で、なぜこの英語がこうなった?あり、よくぞこの訳を思いついた!あり、はたまた、なんで??もあり、タイトルだけでいつまでも楽しめてしまうのですが、数ある「素敵邦題」の中でも最も不可解なのがこれ。



 ぼくもデカすよ / ファッツ・ドミノ





















原題は I’m Gonna Be A Wheel Someday.
僕はいつか車輪になるよ?いやいや、wheelには大物という意味がありますので、僕はいつか大物になるよ、ですね。

そこでわからないのが「デカすよ」です。
デカす?なんとなく「デカ」は「でかい」と関係あるのかなという気がしますが、問題は助動詞の「す」です。
「す」は主に使役的に使われますが、そうすると、ぼくもデカくさせるよ?
うーん、ちょっと違うような気がします。

納得いかない私はさらに調べてみましたら、「出来る」を他動詞にすると「でかす」になるというのがわかりました。
古語では「出来す」と書くそうです。普段はあまり使いませんね。
「でかした」などという時の「でかす」なのでしょうか?

僕はいつかやってやるぜ、みたいなかんじでしょうか。
だとするとまぁなんとなくわかりますが、ここまで奇異な邦題をつけなくてもよかったのではないかと思います。


歌詞も見てみましょう。

僕はいつか大物になるよ/いつか最高にイカした奴になるよ/そしたら誰のことも、君のことも必要じゃなくなるさ/高値の花だった君は僕が去ったとき、なぜあの人は私を見ないの?って思うだろう(拙訳)

そうだ!頑張ってデカしてくれ!と応援したくなりますね。


さて、この曲
I’m Gonna Be A Wheel Someday
written by Roy Hayes, Fats Domino, Dave Bartholomew

                Fats Domino @ New Orleans Jazz Fest. 2001

最初のリリースは1957Bobby Mitchell、その2年後19597月にFats Dominoがリリースしています。
ぼくもデカすよ」は195911月発売なので、驚くべき早さです。

それ以降はポール・マッカートニー、シェリル・クロウ、それから最近ではファッツ・ドミノトリビュートアルバムでハービー・ハンコックとジョージ・ポーター、ジガブー、レナード・ポッシェのユニットがカバーしています。

ファッツ・ドミノの代表曲、正真正銘の名曲、名盤、素敵な邦題レコードに駄盤なし!です。


今週の当番:No.3

9/16/2011

捨て捨て中毒

さて、質問です。
あなたはコレクターですか?
はい  68%
いいえ 32%

では、コレクターではないとお答えの方に質問です。
コレクターではないけれど、貯まってしまって収納に手こずっている物はありますか?
はい  98%
いいえ 2%


※数字は筆者の妄想です。


そうでしょう、そうでしょう。
このサイトを訪れる人で、CD、レコード、フェスで買ったTシャツ、雑誌、などをどう納めるかで困ってない人いないですよね。もちろん私もそう。私は決してコレクターではありませんが、今は聴かないカセットテープがどーんと棚の結構良い場所を占めてるし。Tシャツの引き出しは開け閉めする度にイラッとして、それでもライブに行くとまた買っちゃう。そんな私が、いえ私たちが、「断捨離」なんてとーんでもない。捨てないで美しく暮らす方法なら、ご指南願うかもしれないけれど、捨てろって。ナイナイ!



ところが、です。
この本は、捨てて捨てて捨てまくる、もっと捨てても良い物はないか探す、捨て捨て中毒人の告白本。
著者は「じみへん」の中崎タツヤ。


「じみへん」地味で変な人



あちこちの解説に「超・断捨離」と書いてありますが、断捨離なんて全く関係ない。「もたない男」というより、「捨てたい男」だったんです。
手っ取り早いのでこちらをご覧下さい。
このサイトの「クリック なか見!検索」で、「捨て中」がどういう事なのか、だいたいお分かり頂けます。






これで概ね分かっちゃって、後は何が書いてあるの?

何をいかに捨てたのか、何が無駄に見えたのか、そのあたりは事細かに書いてありますが、それよりもなぜに「捨て中」になってしまったのか、奥さまは協力してくれているのか、捨てにまつわる又はまつわらない日常話だったり思い出話だったりが取り留めなく書いてあります。「じみへん」で煩悩のあれこれをあんなに事細かに書いていた人です。美しく収納やら自分を見つめ直すために身軽になるなんて頓着しないでしょっ!と思っていたら、案の定、欲しいがままにどんどん買って飽きて捨ててるんだった。究極の逆・MOTTAINAI。安心しました〜。



この本で、中崎タツヤが近藤房之介の高校の後輩だって知りました。
なんとなく、なるほどーと思いました。



●●● No.5 轟 美津子

7/20/2011

真景累ヶ淵


只今では幽霊というものはない、まったく神経病だということになりましたから、近来怪談はおおいに廃っておりました。
なれどもその昔は幽霊というものがあると私どもは思っておりましたから、なにか不意に怪しいものを見ると、おお怖い、ありゃあ幽霊じゃないかと驚きました。
只今では幽霊はないものと諦めましたから、何でも怖いものは皆神経病とおっつけてしまいますが、今日ではかえって古めかしい方が耳新しいように思われます。

と、圓朝風に言うとこうなりますが、とはいうものの、やはり幽霊噺、怪談噺は現代でも夏のお楽しみです。

その三遊亭圓朝の名作『真景累ヶ淵』、落語では主にその中の「宗悦殺し」と「豊志賀の死」が演じられることが多いのですが、この噺、実際はものすごく長く、因縁怨念渦巻く複雑怪奇なドロドロ噺なのです。
江戸の時代にはこの長い噺を連日寄席で続きものとして聴かせたといいますから、今の時代にあってはすごく贅沢なような気がいたします・・・・・


なーんて知ったふうなことを言ってはみたものの、実は全ては知らない。
『真景累ヶ淵』、全貌はいかなるものか?

ということで、一気に全部、読んでみた。

岩波文庫版は圓朝の口述速記なので
圓朝の噺を聴いている気分が味わえる

もの凄くざっとしたあらすじは以下のとおり。

・盲の鍼医で金貸しの宗悦が取り立てに行った先で深見新左衛門に殺される。
・宗悦の呪いで新左衛門は乱心、妻を斬り殺し、家は取りつぶしとなる。
・新左衛門のふたりの息子のうち兄新五郎はそうとは知らず宗悦のふたりの娘のうち妹お園に恋情、強姦しようと 押し倒して殺してしまう。捕らえられ獄門。
・お園の姉豊志賀は18も年下の新五郎の弟新吉と恋仲になる。
・顔が爛れた豊志賀が「新吉の妻を7人まで取り殺す」と残して死ぬ。
・新吉はお久と下総羽生村に逃げる途中、豊志賀の呪いでお久を鎌で殺してしまう。
・羽生村でお累と知り合う。夫婦となって金をだまし取る。
・お累も幽霊となって鎌で自害。
・新吉は名主、惣右衛門の妾、お賤と共謀して惣右衛門を殺す。
・甚蔵に宗右衛門殺しがばれて強請られ甚蔵を殺して新吉とお賤は出奔。
・惣右衛門の息子惣次郎は女中お隅と馴染むが、お隅に横恋慕した一角に殺される。
・仇を討ちに行ったお隅も返り討ちにあう。
・惣次郎の母と弟惣吉が仇討ちに出掛けるも母は行きずりの尼に殺され路銀を奪われる。
・その尼は実は新左衛門の妾であったお熊。お賤はお熊の娘。
・新吉とお賤が兄弟だとわかる。
・改心したふたりは呪いの鎌で自殺。
・惣吉は相撲取り重吉とともに仇一角を討つ。

ぐちゃぐちゃの人間関係




















まー、殺す殺す。盗む盗む。誰も彼も悪い奴。

新吉ははじめは美しくもまじめな若者だったのに、なぜ急にこのような残忍無慈悲な悪人になってしまったのか? 
7人まで取り殺すと言った豊志賀はなぜお賤を呪い殺さなかったのか? 
なぜ宗悦の呪いは自分の娘にまで及ぶのか?
終盤でゆかりの人物が一堂に会するのはあまりにご都合主義に寄らないか?
(ひょっとして圓朝、後半はテキトーにしゃべっちゃったか?)
いろいろ疑問はあるが、これを因縁といい、結局はそれは呪いによるもの、ということになるのだろう。

歌舞伎の「月もおぼろに白魚のかがりもかすむ春の空〜」でお馴染み、黙阿弥の「三人吉三」も全ては犬の呪いによる因縁の話。
江戸の人々のツボはここなのだろう、きっと。

三遊亭圓朝は数々の新作落語(今では古典だが)を拵えたことで知られるが、この真景累ヶ淵だけでなく怪談乳房榎、牡丹燈籠、江島屋騒動といった怪談噺が多い。
圓朝は幽霊画のコレクターでもあったから、よほど幽霊が好きだったとみえる。

私は以前、圓朝のお墓がある谷中の全生庵で100点に及ぶ圓朝の幽霊画コレクションを見たことがあるが、それはそれは気味の悪いものだった。
それにしても幽霊を掛け軸に書いて部屋に掛ける江戸時代の人ってどういう趣味をしているんだか・・。

さて、かように全貌が明らかとなった真景累ヶ淵、6代目三遊亭圓生(円楽--楽太郎ではない--の師匠。最近圓生襲名騒動があったが、そういえばあれはどうなったんだろう?)が「宗悦殺し」から「聖天山」(新吉とお賤が出奔)まで8話通しで演じている。さすがの圓生も後半はやらなかったようだ。
そうだよね、惣吉の敵討ちの行はなくてもいいような気も・・・(あぁ圓朝の名作になんてこと......)
(No.3)


6/21/2011

日本の素朴絵

今回は、眺めてはふふっと笑ってしまう本のご紹介。


『素朴絵』って?
著者は「リアリズムのみを目標としないおおらかな具象画」を『素朴絵』と表現していますが、これってぶっちゃけ「ヘタな絵」の事。ヘタで突っ込みどころ満載。遠近法が日本で定着する前だからってこれ~?とか、文筆が主だからって、この挿絵で良いのか~?ってね。そこには、元々技術が無いからヘタなのも、本当は上手なのにイイ味出して描いてるのもあるのだけれど、ひっくるめて近代以前の日本絵画史の中に散らばるゆる~~い絵画の世界の大博覧本。
この中では偉い殿様も名高き高僧も怖ーい閻魔様も、みんな「ゆるキャラ」にしか見えない。




例えばこの絵「かみ代物語絵巻(西尾市岩瀬文庫蔵)」釣り竿持って前を歩いているのが竜王でワニ(?!)に乗ってるのが山幸彦だって….。山幸彦といえば神さまですよ。この竜王の体の反り、腕のありえない曲がり方。でも私がカビラ・ジェイだったら、間違いなく「いーんです!」と力強く叫んでいるところ。
かみ代物語絵巻



著者の矢島新さんは幼かった頃に見た武者小路実篤の額入り色紙を、「子供にも描けそうな絵がなぜ額に飾られているのか、不思議に思った」とあります。それって多分このあたり。
仲よき事は美しき哉



確かにね、誰でも必ず一度は目にした事があるこの額。これがそんなにポピュラーなのは、決して上手(リアル追求、本物そっくり)ではない絵でも愛でる文化が、昔から日本にはあるからだと。
さて、そこで現代では「ゆるキャラ」ね。「ゆるキャラ」ってどんなもんなんだろ、と眺めていたら、最強のゆるゆるが私の故郷・横浜市戸塚区にいてビックリ。

ウナシー 浜ナシが大好き♡
このウナシー、5月にTwitterを始めたけど、フォロアーが2人….。おーい、戸塚区民たち~。フォローしてやっておくれ~~。


話は逸れましたが、日本絵画の系譜の一面を学びたい人にはもちろん、「リアリズム」に疲れている人、「リアル」を求められても無理よっと思っている人、カワイイ~に斜に構えたい人、とにかくツッコミたい人、この本はそんな方にお勧めします。
また、もしもあなたが「地図が上手に描けないのよねぇ」と悩んでいるなら、ぜひこの本に掲載された参詣曼荼羅の数々を見てみて下さい。大丈夫。地図としては役に立たなくても、日本にはそれを愛する伝統がありますから。



●●今週の当番:轟美津子

5/10/2011

Love Love Lord Emsworth

イギリスのユーモア小説の大家、P.Gウッドハウスがたいそう面白い。

私のお気に入りはエムズワース卿シリーズだ。
エムズワース伯爵の身辺で起こるちまちまとした困った出来事に「脳みそが綿菓子のような」殿様が難儀する物語。これが、くすくす、では収まらない、ギャハハハとつい馬鹿笑いしてしまう爆笑小説なのだ。

といってもこのエムズワース卿、落語に出てくる赤井御門守のようなイッちゃってる殿様ではない。

ご本人に別段意図もなく、美しい庭と平穏な生活を愛してるだけなのに、ただ愛読書「豚の飼育」を静かに読んでいたいだけなのに、なぜか物事が妙な方向に行ってしまう気の毒な殿様なのだ。
そして脇役達の個性も秀逸。というか、この脇役達こそが揃いも揃って我が愛すべき殿様を煩わせるのだけど。

読んでいて思い出すのは落語「天狗裁き」。
ギャグ(またはボケ?)らしきものはほとんどなくストーリーがただ展開するだけでそこはかとなく(なのにギャハハハ)可笑しい。そこがとても上品なかんじのする(なのにギャハハハ)お話なのである。

エムズワース卿は細身でおっとり(ぼんやり)したおじいちゃん、ということで、私の中のイメージはもう完全に益田喜頓です。

この作家、1881年(明治14年!)生まれで主要作品は1920年〜1950年代。そんな昔の?と思うことなかれ。落語と同じ、センスに時代は関係ないのだ。
“エムズワース卿もの” と並ぶ代表作 “ジーヴスもの” も面白い!

蛇足ながら、読んでみようと思われた方、文藝春秋PGウッドハウス選集をお薦めする。国書刊行会のウッドハウスコレクションもあるが、翻訳文に、例えば「癒し系」といったような「今風の言い回し」が散見されてがっかりさせられる。気難しいババアの私はこういうのがどうにも気になってしょうがないのよ。(No.3)