只今では幽霊というものはない、まったく神経病だということになりましたから、近来怪談はおおいに廃っておりました。
なれどもその昔は幽霊というものがあると私どもは思っておりましたから、なにか不意に怪しいものを見ると、おお怖い、ありゃあ幽霊じゃないかと驚きました。
只今では幽霊はないものと諦めましたから、何でも怖いものは皆神経病とおっつけてしまいますが、今日ではかえって古めかしい方が耳新しいように思われます。
と、圓朝風に言うとこうなりますが、とはいうものの、やはり幽霊噺、怪談噺は現代でも夏のお楽しみです。
その三遊亭圓朝の名作『真景累ヶ淵』、落語では主にその中の「宗悦殺し」と「豊志賀の死」が演じられることが多いのですが、この噺、実際はものすごく長く、因縁怨念渦巻く複雑怪奇なドロドロ噺なのです。
江戸の時代にはこの長い噺を連日寄席で続きものとして聴かせたといいますから、今の時代にあってはすごく贅沢なような気がいたします・・・・・
なーんて知ったふうなことを言ってはみたものの、実は全ては知らない。
『真景累ヶ淵』、全貌はいかなるものか?
ということで、一気に全部、読んでみた。
岩波文庫版は圓朝の口述速記なので 圓朝の噺を聴いている気分が味わえる |
もの凄くざっとしたあらすじは以下のとおり。
・盲の鍼医で金貸しの宗悦が取り立てに行った先で深見新左衛門に殺される。
・宗悦の呪いで新左衛門は乱心、妻を斬り殺し、家は取りつぶしとなる。
・新左衛門のふたりの息子のうち兄新五郎はそうとは知らず宗悦のふたりの娘のうち妹お園に恋情、強姦しようと 押し倒して殺してしまう。捕らえられ獄門。
・お園の姉豊志賀は18も年下の新五郎の弟新吉と恋仲になる。
・顔が爛れた豊志賀が「新吉の妻を7人まで取り殺す」と残して死ぬ。
・新吉はお久と下総羽生村に逃げる途中、豊志賀の呪いでお久を鎌で殺してしまう。
・羽生村でお累と知り合う。夫婦となって金をだまし取る。
・お累も幽霊となって鎌で自害。
・新吉は名主、惣右衛門の妾、お賤と共謀して惣右衛門を殺す。
・甚蔵に宗右衛門殺しがばれて強請られ甚蔵を殺して新吉とお賤は出奔。
・惣右衛門の息子惣次郎は女中お隅と馴染むが、お隅に横恋慕した一角に殺される。
・仇を討ちに行ったお隅も返り討ちにあう。
・惣次郎の母と弟惣吉が仇討ちに出掛けるも母は行きずりの尼に殺され路銀を奪われる。
・その尼は実は新左衛門の妾であったお熊。お賤はお熊の娘。
・新吉とお賤が兄弟だとわかる。
・改心したふたりは呪いの鎌で自殺。
・惣吉は相撲取り重吉とともに仇一角を討つ。
ぐちゃぐちゃの人間関係 |
まー、殺す殺す。盗む盗む。誰も彼も悪い奴。
新吉ははじめは美しくもまじめな若者だったのに、なぜ急にこのような残忍無慈悲な悪人になってしまったのか?
7人まで取り殺すと言った豊志賀はなぜお賤を呪い殺さなかったのか?
なぜ宗悦の呪いは自分の娘にまで及ぶのか?
終盤でゆかりの人物が一堂に会するのはあまりにご都合主義に寄らないか?
(ひょっとして圓朝、後半はテキトーにしゃべっちゃったか?)
いろいろ疑問はあるが、これを因縁といい、結局はそれは呪いによるもの、ということになるのだろう。
歌舞伎の「月もおぼろに白魚のかがりもかすむ春の空〜」でお馴染み、黙阿弥の「三人吉三」も全ては犬の呪いによる因縁の話。
江戸の人々のツボはここなのだろう、きっと。
三遊亭圓朝は数々の新作落語(今では古典だが)を拵えたことで知られるが、この真景累ヶ淵だけでなく怪談乳房榎、牡丹燈籠、江島屋騒動といった怪談噺が多い。
圓朝は幽霊画のコレクターでもあったから、よほど幽霊が好きだったとみえる。
私は以前、圓朝のお墓がある谷中の全生庵で100点に及ぶ圓朝の幽霊画コレクションを見たことがあるが、それはそれは気味の悪いものだった。
それにしても幽霊を掛け軸に書いて部屋に掛ける江戸時代の人ってどういう趣味をしているんだか・・。
さて、かように全貌が明らかとなった真景累ヶ淵、6代目三遊亭圓生(円楽--楽太郎ではない--の師匠。最近圓生襲名騒動があったが、そういえばあれはどうなったんだろう?)が「宗悦殺し」から「聖天山」(新吉とお賤が出奔)まで8話通しで演じている。さすがの圓生も後半はやらなかったようだ。
そうだよね、惣吉の敵討ちの行はなくてもいいような気も・・・(あぁ圓朝の名作になんてこと......)
(No.3)
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